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執筆者の写真つきみグループ

ドーナツは哲学

こんにちは


本日は、昨日のクッキングのレポートをさせて頂きます。




メニューは"さつまいもと豆腐のドーナツ"いかにも今流行のロカボ食品ぽいメニューです




"ドーナツなのに穴が空いてない!"とか"先週も芋だったじゃないか!"などの大人泣かせのクレームはさておき、大変美味しゅうございました。




昨日の午後は、あまりにもドーナツの匂いが良いものだから、児童デイサービスではなく、"いい匂いのする施設"になっていました。







先程も記載しましたが、今回のドーナツは穴がないのです。





これは哲学の話なのですが、ドーナツの穴とは何なのかについて、世界の偉い人たちが考察した本があります。




"手に取って味わうことができるものを「存在する」とし、それ以外は「存在しない」とするならば、身の部分に対して穴の部分は「無」となる。 つまり、穴というものは「無い」のだとすれば身だけになり、イコールそれがドーナツということになる"



だそうです。



あー。頭痛い!




あまりに壮大な考察で、後にドーナツを食べるのに膨大なエネルギーを使うことになってしまいました。





因みに私が幼い頃に"ドーナツの穴は何であるのー?"と父親に訪ねたら"二十歳になったらわかるよ"と奇天烈な回答をぶっ込んできました。






もう37ですがぜーんぜん分かりません。

ドーナツの穴の理由も父親の思考も


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